お侍様 小劇場
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    “追儺の祓い” 〜寵猫抄より
 


その発祥は、年末に催された“大祓”の儀。
一年の間に積もりに積もり溜まりに溜まった罪や穢れを祓うという、
“厄祓い”の意味から行われる宮中行事で。
鬼に見立てた舎人らを、方相子と呼ばれる祓い役と20人の童子とで、
桃の弓で葦の矢を放って追い払う真似ごとをした。
弓矢の代わりに、豆を撒くようになったのは室町以降で、
江戸期に入ると、
今の“節分”に行われる行事となって民間へも流布し、
それが今へと至っているのだそうな。

 「のり巻きを食うのは、上方の海苔問屋が広めた風習らしくてな。」

三重だか愛知だったかに、そういう伝承があったのを持って来て、
飯と七つの具材とで七福とし、
それを海苔で巻き取ったものを喰らうとして縁起をかついだんだと。

「鬼の金棒に見立ててるって説もあるそうだがな。」
「鬼…。」

ああ、昔は丑寅の方角を“鬼門”としていたもんだから、
牛の角に虎の革のふんどしをしめた悪霊ってのが生み出されてな。
罪悪に引き寄せられて、そんな疫病神が取り憑こうとするのを祓う、
いわば清めの行事だったらしい。

 「それで今宵は、風の匂いが落ち着かないのだろうがな。」
 「……。」

なに? 人間の力も大したものだ?
うむ…まあ、そうとも言えるのかな。
困ったときの神頼みじゃあないが、
今日ばかりはという形だけでも、
信心を見せる姿や、お経の一節でもと唱える者は多かろう。
1つ1つはささやかであれ、
日本国中という規模で山のように固まれば、
小者の邪妖を祓うには十分な、とんだ威力だって発揮しようからの。

 「というワケで、
  今宵の邪気はなかなかに濃密で、手ごわいのも現れかねぬ。」
 「……。(頷)」

黒髪の同僚が一通りを説いてくれた、
特別な晩ではあるらしき今宵の気配への説明へ。
こくりと頷きがてらの所作の末、深紅の長衣の裾ひるがえし、
背に負うた長得物へ仕込みの双刀、すらりと抜き放った赤目の朋輩。
群雲の陰より、その姿現したばかりな下弦の月影。
さわり そよいだ木蓮の梢へと燦手を延べて。
まだ萌え出づぬその先へ、かすかな何かが光るのへ、

  ―― 哈っっ!

金の髪揺らしつつ、問答無用で切っ先を薙ぎ払えば。
ちりりという鈴の音のような響きがし、
それを追うよに怪しき緑の燐光が、細い糸を引きつつ夜気へと飛び散る。

 “…よくも気づいたの。”

病を染ませた微細な邪気霊。
1つ2つではさしたる害もないが、
幾つもが重なれば宿った先への機運を下げかねぬ。
とはいえ、

 “こやつがおれば、それだけで十分だろに。”

この気魄の鋭さに圧されてのこと、
この屋敷や住人へと目がけ、
わざわざ寄ってく邪や妖気なぞ、まずはありはしなかろに。
この男のほうがよほどのこと“鬼”かも知れぬと、
こそり思った兵庫殿だったりもしたそうで。

 “昼間のあの無邪気な和子と、
  同一の存在であること、一体誰が信じようかの。”

今の彼らが足場にしている、洋館もどきの屋敷の家人らに、
そりゃあもうもう、
蜜よ甘露よとの笑顔やお声でもって、我が子の如くに可愛がられ。
今日も今日とて、やんちゃに はしゃいだらしい小さな仔猫。

 『にあ、みゅう…。』

遊び疲れてのことだろう。
手厚い給仕をしてもらっての美味しい夕餉もそこそこに、
ウサギの毛を敷き詰めた、ふかふかな寝床へもぐり込んでた小さな坊や。
メインクーンという、
キャラメル色の綿毛をまといし仔猫の顔の方でも十分に愛らしいというに、
家人二人には人の和子に見えている、不思議な子供。
淡雪みたいなやわやわな頬に、
甘い陰落とす細い睫毛の長さも愛らしい。
見ているだけで暖かな気分になるほどに、
ふくふくとまろやかな、何ともあどけない寝顔を晒し、
くうすうと眠ってた、そりゃあ稚(いとけな)い幼子だったのにね。
ぽちりとえくぼの浮いた手も小さくて、
くるんと丸まった肢体もずんと可憐で幼かったものが。

  すうとその光を冴えさせた、蒼い月光しとどに浴びて。

その痩躯そのものが一振りの太刀のような、
途轍もない物騒な存在へと変貌し、

  ―― ひゅっか、と

風鳴りの音も鋭利に、夜陰を裂くのと諸共に、
負界の陰体を容赦なく切り刻むは“刀の鬼”か。


  いやホントに、
  そりゃあ無邪気な“節分”を
  ワクワクと過ごした坊やだったんですけれどもねぇ。


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